2015年 12月 01日
映画【黄金のアデーレ 名画の帰還】 |
20151201
http://aosan.daa.jp/?p=3247
///////////////////////////////////
本日の何だか気になるキーワード
1 7~9月期11.2%増(設備投資額)
2 偵察機や兵員1200人派遣へ、対IS作戦支援(独政府)
3 ラーメン店が世界初の一つ星「蔦」(ミシュランガイド東京)
4 マイナンバーは「違憲」(全国5地裁に156人一斉提訴)
5 ストーブ列車開始(津軽鉄道)
6 悪貨が世界を脅かす(人民元SDR入り)
7 マイナンバーカード最初の配達の遅れ650万通(日本郵便)
8 「トリプルスリー」「爆買い」(流行語大賞)
9 大槌町でマイナンバー送付ミス(岩手県)
10 大学でテロ訓練を襲撃と勘違い 1人死亡20人以上負傷 (ケニア)
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映画【黄金のアデーレ 名画の帰還】
実話なので、興味津々で見ました。
主人公マリアのモデルになった人が亡くなったのが2011年なので
、手際よく映画化されたものです。
それだけ世界中で話題性の高い裁判だったのでしょう。
<あらすじ>
https://hlo.tohotheater.jp/net/movie/TNPI3060J01.do?sakuhin_cd=012637
マリア・アルトマン、82歳。アメリカに暮らす彼女がオーストリ
ア“政府”を訴えた。
それは“オーストリアのモナリザ”と称されるクリムトの名画を
「私に返してください」という驚きの要求だった。
クリムトが描いた、黄金に輝く伯母・アデーレの肖像画は、第二
次世界大戦中、ナチスに奪われたもので、正当な持ち主である自
分のもとに返して欲しいというのが、彼女の主張だった。
大切なものすべてを奪われたマリアが、名画よりも本当に取り戻
したかったものとは──?
最後に明かされる真実が、前へと進む力をくれる希望と感動の実
話。
監督 サイモン・カーティス
出演 ヘレン・ミレン、ライアン・レイノルズ、ダニエル・
ブリュール
[黄金のアデーレ 名画の帰還 上映時間:109分 ]
主人公も彼女を支える若い弁護士も、
気持ちが逡巡し、
途中絵画を取り戻すのを諦めかけますが、
弁護士事務所を辞めてまでこの裁判にかける一途な思いが
勝利に繋がった結果になります。
今度ニューヨークへ行ったら、
是非本物を見てみたいものです。
日本人ならこんなに粘り強くできないんじゃないか、
と感じました。
マリアも最初はそうでしたが、
そもそも最初から取り返そうなんて思わない。
それにしても、
いついつまでも、
ナチスの亡霊は彷徨っているものです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「アデーレ・ブロッホ=バウアー」
ウィキペディアより
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%87%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%9B%EF%BC%9D%E3%83%90%E3%82%A6%E3%82%A2%E3%83%BC
アデーレ・ブロッホ=バウアー(Adele Bloch-Bauer, 1881年8月9
日 ウィーン - 1925年1月24日 ウィーン)は、オーストリアの実
業家フェルディナント・ブロッホ=バウアーの妻。1907年にグス
タフ・クリムトに制作を依頼した『アデーレ・ブロッホ=バウア
ーの肖像 I』(「黄金のアデーレ」)は、ウィーンのユーゲント
・シュティール(世紀末芸術)を代表する芸術作品の1つとして知
られている。
ユダヤ系の銀行家モーリッツ・バウアー(1840年 - 1905年)の娘
で、1899年に同じユダヤ系の製糖工場の所有主フェルディナント
・ブロッホと結婚、夫婦はブロッホ=バウアー(Bloch-Bauer)の
複合姓を名乗った。アデーレのサロンにはウィーンのユダヤ系上
流市民が集まり、芸術家、文筆家、カール・レンナーやユリウス
・タンドラー(英語版)といった社会民主党系の政治家が出入り
した。ブロッホ=バウアー夫妻はウィーン分離派の芸術家たちを
支援したが、中でもグスタフ・クリムトはアデーレの肖像画を2度
描いている。『アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I』(1907
年)と『アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 II』(1912年)で
ある。
姪マリア・アルトマンの回想によると、彼女は「病がちで、特に
偏頭痛に苦しめられており、ヘビースモーカーで、非常に華奢で
、憂鬱症だった。顔立ちは理知的で、細長く、洗練されていた。
傲岸不遜な性格で…常に観念的な思念を追求していた」。アデー
レは1925年に髄膜炎で死去し、ウィーン・ジンマーリンク(英語
版)地区の火葬場(ドイツ語版)付属墓地に葬られた。
「黄金のアデーレ」の肖像画をめぐっては、オーストリア共和国
政府と、同国に絵画の返還を求めるブロッホ=バウアー夫妻の姪
マリア・アルトマンおよびその共同相続人の間で、2006年に至る
まで長い法廷闘争があった。法廷闘争の争点はアデーレの遺言で
あった[1]。彼女は死後、夫に対し、自分を描いた作品については
ベルヴェデーレ宮殿美術館(オーストリア・ギャラリー)に寄贈
するように言い残した。同美術館を経営するオーストリア政府は
、この遺言を盾にこれらの絵画の合法的な所有権を主張した。
しかし夫のフェルディナントは、2枚の肖像画を寄贈するようにと
の死んだ妻の遺言に関して、これらの肖像画の所有権はもともと
自分にあるとして、遺言を実行に移さなかった。1938年のアンシ
ュルス後、アーリア化の動きの中で、絵画を含む財産を残して国
外に逃れたフェルディナントは、自らの所有する絵画を政府へ寄
贈する考えを取り消し、遺言で甥姪に相続させるとしたのである
。こうした経緯から、法廷闘争は発生した。
その後、「黄金のアデーレ」はロナルド・ローダーに買い取られ
、現在はニューヨークのノイエ・ガレリエに所蔵されている。
(ニューヨーク、セントラルパークのそばの5番街にある邸宅美術
館)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
20151201
映画【黄金のアデーレ 名画の帰還】
http://aosan.daa.jp/?p=3247
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最後までお読みくださいまして
ありがとうございます。
感謝いっぱいでございます。
「アオサンだーjp」
の「もくじ」は次のURLです。
2014年(平成26年) http://aosan.daa.jp/?page_id=183
2015年(平成27年) http://aosan.daa.jp/?page_id=1877
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3 ラーメン店が世界初の一つ星「蔦」(ミシュランガイド東京)
4 マイナンバーは「違憲」(全国5地裁に156人一斉提訴)
5 ストーブ列車開始(津軽鉄道)
6 悪貨が世界を脅かす(人民元SDR入り)
7 マイナンバーカード最初の配達の遅れ650万通(日本郵便)
8 「トリプルスリー」「爆買い」(流行語大賞)
9 大槌町でマイナンバー送付ミス(岩手県)
10 大学でテロ訓練を襲撃と勘違い 1人死亡20人以上負傷 (ケニア)
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映画【黄金のアデーレ 名画の帰還】
実話なので、興味津々で見ました。
主人公マリアのモデルになった人が亡くなったのが2011年なので
、手際よく映画化されたものです。
それだけ世界中で話題性の高い裁判だったのでしょう。
<あらすじ>
https://hlo.tohotheater.jp/net/movie/TNPI3060J01.do?sakuhin_cd=012637
マリア・アルトマン、82歳。アメリカに暮らす彼女がオーストリ
ア“政府”を訴えた。
それは“オーストリアのモナリザ”と称されるクリムトの名画を
「私に返してください」という驚きの要求だった。
クリムトが描いた、黄金に輝く伯母・アデーレの肖像画は、第二
次世界大戦中、ナチスに奪われたもので、正当な持ち主である自
分のもとに返して欲しいというのが、彼女の主張だった。
大切なものすべてを奪われたマリアが、名画よりも本当に取り戻
したかったものとは──?
最後に明かされる真実が、前へと進む力をくれる希望と感動の実
話。
監督 サイモン・カーティス
出演 ヘレン・ミレン、ライアン・レイノルズ、ダニエル・
ブリュール
[黄金のアデーレ 名画の帰還 上映時間:109分 ]
主人公も彼女を支える若い弁護士も、
気持ちが逡巡し、
途中絵画を取り戻すのを諦めかけますが、
弁護士事務所を辞めてまでこの裁判にかける一途な思いが
勝利に繋がった結果になります。
今度ニューヨークへ行ったら、
是非本物を見てみたいものです。
日本人ならこんなに粘り強くできないんじゃないか、
と感じました。
マリアも最初はそうでしたが、
そもそも最初から取り返そうなんて思わない。
それにしても、
いついつまでも、
ナチスの亡霊は彷徨っているものです。
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「アデーレ・ブロッホ=バウアー」
ウィキペディアより
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%87%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%9B%EF%BC%9D%E3%83%90%E3%82%A6%E3%82%A2%E3%83%BC
アデーレ・ブロッホ=バウアー(Adele Bloch-Bauer, 1881年8月9
日 ウィーン - 1925年1月24日 ウィーン)は、オーストリアの実
業家フェルディナント・ブロッホ=バウアーの妻。1907年にグス
タフ・クリムトに制作を依頼した『アデーレ・ブロッホ=バウア
ーの肖像 I』(「黄金のアデーレ」)は、ウィーンのユーゲント
・シュティール(世紀末芸術)を代表する芸術作品の1つとして知
られている。
ユダヤ系の銀行家モーリッツ・バウアー(1840年 - 1905年)の娘
で、1899年に同じユダヤ系の製糖工場の所有主フェルディナント
・ブロッホと結婚、夫婦はブロッホ=バウアー(Bloch-Bauer)の
複合姓を名乗った。アデーレのサロンにはウィーンのユダヤ系上
流市民が集まり、芸術家、文筆家、カール・レンナーやユリウス
・タンドラー(英語版)といった社会民主党系の政治家が出入り
した。ブロッホ=バウアー夫妻はウィーン分離派の芸術家たちを
支援したが、中でもグスタフ・クリムトはアデーレの肖像画を2度
描いている。『アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I』(1907
年)と『アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 II』(1912年)で
ある。
姪マリア・アルトマンの回想によると、彼女は「病がちで、特に
偏頭痛に苦しめられており、ヘビースモーカーで、非常に華奢で
、憂鬱症だった。顔立ちは理知的で、細長く、洗練されていた。
傲岸不遜な性格で…常に観念的な思念を追求していた」。アデー
レは1925年に髄膜炎で死去し、ウィーン・ジンマーリンク(英語
版)地区の火葬場(ドイツ語版)付属墓地に葬られた。
「黄金のアデーレ」の肖像画をめぐっては、オーストリア共和国
政府と、同国に絵画の返還を求めるブロッホ=バウアー夫妻の姪
マリア・アルトマンおよびその共同相続人の間で、2006年に至る
まで長い法廷闘争があった。法廷闘争の争点はアデーレの遺言で
あった[1]。彼女は死後、夫に対し、自分を描いた作品については
ベルヴェデーレ宮殿美術館(オーストリア・ギャラリー)に寄贈
するように言い残した。同美術館を経営するオーストリア政府は
、この遺言を盾にこれらの絵画の合法的な所有権を主張した。
しかし夫のフェルディナントは、2枚の肖像画を寄贈するようにと
の死んだ妻の遺言に関して、これらの肖像画の所有権はもともと
自分にあるとして、遺言を実行に移さなかった。1938年のアンシ
ュルス後、アーリア化の動きの中で、絵画を含む財産を残して国
外に逃れたフェルディナントは、自らの所有する絵画を政府へ寄
贈する考えを取り消し、遺言で甥姪に相続させるとしたのである
。こうした経緯から、法廷闘争は発生した。
その後、「黄金のアデーレ」はロナルド・ローダーに買い取られ
、現在はニューヨークのノイエ・ガレリエに所蔵されている。
(ニューヨーク、セントラルパークのそばの5番街にある邸宅美術
館)
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20151201
映画【黄金のアデーレ 名画の帰還】
http://aosan.daa.jp/?p=3247
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感謝いっぱいでございます。
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by 3zero333
| 2015-12-01 22:11
| ライフ