2015年 06月 29日
庶民に優しい「なだ万」ランチと宗次ホールランチタイム名曲コンサートvol.1206「花束より少しちいさなチェンバロの名曲たち」 |
20150629
http://aosan.daa.jp/?p=2664
///////////////////////////////////
本日の何だか気になるキーワード
1 「scanner@」メールに注意(口座情報盗難)
2 メロンサミット(静岡・袋井市)
3 粉じん爆発負傷者498人(台湾)
4 カキ採りの3人おぼれ1人死亡(千葉県)
5 子ども60人植樹(宮城・山元町)
6 バター入り「防弾コーヒー」(米)
7 ギリシャデフォルトで暴落(東京株式市場)
8 49社でトップ交代(中部の主要企業)
9 「題名のない音楽会」降板(佐渡裕)
10 うるう秒「午前8時59分60秒」(7月1日)
///////////////////////////////////
庶民に優しい「なだ万」ランチと
宗次ホールランチタイム名曲コンサートvol.1206
「花束より少しちいさなチェンバロの名曲たち」
今回は、
ランチをメインにするつもりで、
「なだ万」を選んでみました。
ところがどっこい、
演奏も
普通ではあり得ない方法で楽しませて頂いて、
本当に素晴らしかった、の一言です!!!
熟練の技です。
宗次ホールランチタイムコンサート
場所:宗次ホール
愛知県名古屋市中区栄
チケット代:1000円
ランチ代:2700円
なだ万の「極」
(東鮨の3000円より安いのは謎です。)
出演者:
山縣万里(チェンバロ)
プログラム:
★J.S.バッハ(1685-1750):
ゴルトベルク変奏曲より
アリア
フランス組曲 第5番より
アルマンド
サラバンド
ガヴォット
イタリア協奏曲より
第1楽章
★ヘンデル(1685-1759):
調子の良い鍛冶屋
★パーセル(1659-1695):
グラウンド
★ロワイエ:
スキタイ人の行進
★ヘンデル(1685-1759):
シャコンヌ
チェンバロの特長
・イギリスでは、ハープシコード
・ギターに鍵盤をつけたようなもの
・きらびやかでありながら、どこか優しく懐かしい音色
・木のあたたかみや自然の息吹が感じられる
・派手さは無いけどちょっと素敵
・昔の宮廷音楽
・催眠効果のある柔らかい音色
・リラクゼーション効果
・鍵盤1段は100万円から
・ペダルが無い
・音の強弱がつけられない
などなど、
詳しい解説があって、
あっという間の1時間でした。
今回使われたチェンバロは、
加屋野木山(かやのもくざん)作の
2009年「権兵衛くん」
各種チェンバロのそれぞれの長所を
取り入れたオリジナルモデル
ブランド名:anonymous「アノニモス」
http://anonymous25.jimdo.com/
作者の加屋野氏が演奏の始まる直前まで
調律されていました。
そして、曲の合間にチェンバロ解説。
極めつけは、
「チェンバロに強弱をつける」
というスペシャルサービスも。
どうやってやるか?
それは、ヒ・ミ・ツ
にしておきたいけれど、
ばらしてしまって良いのでしょうか?
観てると笑えて来ますが・・・。
生演奏ならではです。
知らずに演奏会に行った方が、
楽しみが増えると思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
山縣 万里
Yamagata Mari
☆東京藝術大学音楽学部楽理科卒業
☆同器楽科チェンバロ専攻進学
☆安宅賞受賞
☆アカンサス音楽賞受賞
☆東京を拠点に活躍
☆ソロシリーズ<ひとり琴>
☆ソプラノとのデュオ<Duo Maris>
☆小編成アンサンブル
☆オーケストラ公演
☆和楽器との共演
☆ジャンルを超えた演奏活動を展開
☆都留音楽祭アシスタントチェンバリスト
☆宮地楽器チェンバロコース講師
http:://magatamary.jimdo.com/
////////////////////////////////
ピアノやバイオリンの演奏はたくさんあるので、
なるべく珍しい楽器を、と
今回はチェンバロを選びました。
ピアノの前身であるチェンバロの音は、
先入観としては、
奥行の浅いチャラチャラした音、
というものでした。
でもでも、
全く予想を裏切るものでした。
トリルなどの装飾音を駆使して、
人間ワザとは思えない匠の技でした。
本来ならば、音色に変化をつけることが難しいのに、
縦横無尽に弾きこなしておられました。
CDがレコード芸術特選盤に選ばれた演奏家だけあって、
チェンバロの浅はかな固定概念を覆す演奏でした。
//////////////////////////////////
「チェンバロの歴史」
ウィキペディアより
https://ja.wikipedia.org/wiki/
%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%AD%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2
チェンバロは15世紀から18世紀のヨーロッパにおいて
重要な鍵盤楽器であり、20世紀に復興され、
今日では広範に演奏されている。
起源
チェンバロの起源は明らかでない。
ニューグローヴ世界音楽大事典によれば、
現在知られているもっとも古いチェンバロへの言及は、
とあるパドヴァの法学生が1397年に書いた記述に見え、
ヘルマン・ポールという人物が「クラヴィチェンバルム」
(clavicembalum)という楽器を発明したと記されている。
また、形として残る最も古い現存のチェンバロを表現したものは、
北西ドイツのミンデンにあった1425年作の
祭壇の彫像であるという。
チェンバロが誰によりいつ発明されたにせよ、
先行する形態にはいろいろなものが存在していた。
鍵盤によって楽器を操作するという発想は、
すでにオルガンにおいて実現されていたし、
中世にはプサルテリウム(フランス語版)が
広範に用いられていた。
後のチェンバロと同様、プサルテリウムには金属弦が張られ、
チューニングピンで張力が調節されており、
ブリッジを通して響板に振動を伝え、
聞える音量に拡大するという構造を持っていた。
従って、チェンバロの発明の肝要な部分は、
鍵盤の操作によって弦を弾くという
構造を考え出すところにあった。
14世紀はぜんまい仕掛けやその他の機械技術が
発展した時代であり、チェンバロの発明にも
充分な土壌が育っていたかもしれない。
ジャックが四角形のタングにはめ込まれたプレクトラムを
支えるという標準的なチェンバロの構造は、
時間をかけて他のさまざまな方式の中から
生き残っていったものであった可能性は低くない。
ツヴォレのアンリ・アルノー(フランス語版)の記した
楽器に関する1440年頃のラテン語写本には、
ジャックのアクションの3つのタイプの詳しい図が
掲載されており、ピアノのアクションの原始的な形態とも
言いうる構造も掲載されている。
初期チェンバロにおけるもう一つの発達は、
大きさの増大であった。
プサルテリウムは手で持つ楽器であり、
発達後のチェンバロよりはるかに小さい。
初期のチェンバロは、音域においても弦長においても
小さかったようである。
これは、例えば、セバスチャン・ヴィルドゥング
(ドイツ語版)の『音楽概観』(Musica getutscht, バーゼル、
1511年)の中にみることができる。
ヴィルドゥングはそれぞれ「ヴァージナル」
「クラヴィツィンバルム」、「クラヴィツィテリウム」
として3つの楽器を紹介しており、それぞれの楽器は38鍵、
40鍵、38鍵の音域を持っているが、
これはいずれも後のチェンバロからみるとはるかに小さい。
現代の製作家フランク・ハバード(英語版)は、
これらはいずれも「オッタヴィーノ」の一種であったろう
と述べている。
オッタヴィーノとは通常の音高よりもオクターヴ
高くなるような小型の楽器で、弦長を短くすることで
小さく作られている。
オッタヴィーノはチェンバロ製作史の初期には
一般的に見られる楽器であった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
さてさて、
もっとチェンバロの演奏を聴きたかったのですが、
アンコールもなく終了。
心残りながら、
待望のランチへ。
場所:名古屋東急ホテル2F
「なだ万」の「極」ランチ
もしかして、
これは宗次ホールの客専用のコースでしょうか?
普通に店に入れば、
ランチでも
4千円から2万円位まであります。
ビジネスマンが結構多かったです。
「極」ランチ
御献立
・先付
豆乳ゴマ豆腐
蟹身 チャービル
べっこう飴
本体
・小鉢
蒟蒻西京漬
炙り蕃茄 蓼ソース
めかぶと榎茸の佃煮
くこの実
・煮物
茶碗蒸し
・焼物
鯛新茶焼
揚おやき
新生姜松葉 山桃
・揚物
蟹真丈
豆腐磯部 小茄子
青唐
・酢物
稚鮎のマリネ
柑橘大根
・食事
白御飯 ふりかけ
赤だし 香の物
・デザート 季節物
とてもお上品なセットです。
普通の女性には適量だと思いますが、
ふりかけ御飯と赤だしは
お代わり自由なので、
大食漢にも気配りされています。
窓の外は、
階段状の滝になっていて涼しげです。
庶民に優しい「なだ万」でした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「なだ万」
ウィキペディアより
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%AA%E3%81%A0%E4%B8%87
なだ万(なだまん)は、1830年(天保元年)創業の日本料理店。
客単価1万5千円ほどの高級店として知られ、
日本を代表する老舗料亭のひとつである。
百貨店などのテナントとして惣菜や弁当の販売も行なっている。
歴史
創始者である灘屋萬助は、出身地である長崎の卓袱料理と
漢方の知識を元に、長崎料理を大阪風にアレンジした料理屋を
1830年に大阪で開いた。
そして1871年に北浜で「灘萬楼」を開業した。
明治中期には現代のスーパーの嚆矢といえる
総合食料品店も開き、当時まだ珍しかったパンを販売した。
料亭の灘萬は評判を呼び、政財界の要人や文豪らに親しまれ、
その作品にも登場した。
大正時代には、パリ講和会議の折に西園寺公望の
訪欧随行料理人として灘萬の店主が指名され、
また洋式ホテルの経営にも関わって、レストランでの
ジャズ演奏は「灘萬ジャズ」と呼ばれた。
戦後は帝国ホテルなどに日本料理店の出店を続け、
特にホテルニューオータニ庭園の「山茶花荘」
(さざんかそう)は政府要人らの会談場所として
頻繁に使われ、1986年の東京サミットでは
公式晩餐会の会場ともなった。
しかし平成に入ると、バブル崩壊、リーマン・ショックなどで
高級日本料理店の客足は遠のき、その売上不振を
百貨店などでの惣菜販売で補った。
2014年にアサヒビールが創業家(楠本家)から
株式51.1%を取得し、なだ万は子会社化された。
もとよりなだ万の日本料理店で扱うビールの9割は
アサヒ商品であり両社の関係は深く、この買収により
なだ万は安定した経営基盤を得た。
店舗
2015年時点で、日本料理店は日本国内では関東圏を中心に
25店舗、海外では東アジア・東南アジアを主に7店舗を構え、
ほか百貨店などのテナントとして惣菜販売店を
36店ひらいている。
沿革
1830年(天保元年) 初代・灘屋萬助が大阪で料理屋を創業
1871年(明治4年) 長崎料理を基調とした大阪料理の店「灘萬
楼」を開業
1919年(大正8年) 西園寺公望の訪欧に三代目・楠本萬助が随
行。
1970年(昭和45年) 帝国ホテルに日本料理店を開店。
1973年(昭和48年) ロイヤルホテルに日本料理店を開店。
1974年(昭和49年) 本社を大阪から東京のホテルニューオータ
ニ内に移転。
1981年(昭和56年) 香港のシャングリ・ラ・ホテルに海外1号
店を開店。
1986年(昭和61年) 東京サミットを山茶花荘で開催。
2011年(平成23年) 『なだ万日本料理の真髄』(幻冬舎メディ
アコンサルティング)を発売。
2014年(平成26年) アサヒビール株式会社が創業家より株式
51.1%を取得、傘下入りに合意。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今日も幸せな良い一日でした。
ありがとうございます。
感謝します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
20150629
庶民に優しい「なだ万」ランチと
宗次ホールランチタイム名曲コンサートvol.1206
「花束より少しちいさなチェンバロの名曲たち」
http://aosan.daa.jp/?p=2664
/////////////////////////////////
最後までお読みくださいまして
ありがとうございます。
感謝いっぱいでございます。
「アオサンだーjp」
の「もくじ」は次のURLです。
2014年(平成26年) http://aosan.daa.jp/?page_id=183
2015年(平成27年) http://aosan.daa.jp/?page_id=1877
まぐまぐから「ゼロからのお得情報」
という無料メルマガを発行しています。
ご興味をお持ちの方は、ご登録ください。
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「無料」のものは次のURLにまとめてあります。
期間限定のものも多いのでお早めに。
http://aosan.daa.jp/?page_id=39
http://aosan.daa.jp/?p=2664
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本日の何だか気になるキーワード
1 「scanner@」メールに注意(口座情報盗難)
2 メロンサミット(静岡・袋井市)
3 粉じん爆発負傷者498人(台湾)
4 カキ採りの3人おぼれ1人死亡(千葉県)
5 子ども60人植樹(宮城・山元町)
6 バター入り「防弾コーヒー」(米)
7 ギリシャデフォルトで暴落(東京株式市場)
8 49社でトップ交代(中部の主要企業)
9 「題名のない音楽会」降板(佐渡裕)
10 うるう秒「午前8時59分60秒」(7月1日)
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庶民に優しい「なだ万」ランチと
宗次ホールランチタイム名曲コンサートvol.1206
「花束より少しちいさなチェンバロの名曲たち」
今回は、
ランチをメインにするつもりで、
「なだ万」を選んでみました。
ところがどっこい、
演奏も
普通ではあり得ない方法で楽しませて頂いて、
本当に素晴らしかった、の一言です!!!
熟練の技です。
宗次ホールランチタイムコンサート
場所:宗次ホール
愛知県名古屋市中区栄
チケット代:1000円
ランチ代:2700円
なだ万の「極」
(東鮨の3000円より安いのは謎です。)
出演者:
山縣万里(チェンバロ)
プログラム:
★J.S.バッハ(1685-1750):
ゴルトベルク変奏曲より
アリア
フランス組曲 第5番より
アルマンド
サラバンド
ガヴォット
イタリア協奏曲より
第1楽章
★ヘンデル(1685-1759):
調子の良い鍛冶屋
★パーセル(1659-1695):
グラウンド
★ロワイエ:
スキタイ人の行進
★ヘンデル(1685-1759):
シャコンヌ
チェンバロの特長
・イギリスでは、ハープシコード
・ギターに鍵盤をつけたようなもの
・きらびやかでありながら、どこか優しく懐かしい音色
・木のあたたかみや自然の息吹が感じられる
・派手さは無いけどちょっと素敵
・昔の宮廷音楽
・催眠効果のある柔らかい音色
・リラクゼーション効果
・鍵盤1段は100万円から
・ペダルが無い
・音の強弱がつけられない
などなど、
詳しい解説があって、
あっという間の1時間でした。
今回使われたチェンバロは、
加屋野木山(かやのもくざん)作の
2009年「権兵衛くん」
各種チェンバロのそれぞれの長所を
取り入れたオリジナルモデル
ブランド名:anonymous「アノニモス」
http://anonymous25.jimdo.com/
作者の加屋野氏が演奏の始まる直前まで
調律されていました。
そして、曲の合間にチェンバロ解説。
極めつけは、
「チェンバロに強弱をつける」
というスペシャルサービスも。
どうやってやるか?
それは、ヒ・ミ・ツ
にしておきたいけれど、
ばらしてしまって良いのでしょうか?
観てると笑えて来ますが・・・。
生演奏ならではです。
知らずに演奏会に行った方が、
楽しみが増えると思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
山縣 万里
Yamagata Mari
☆東京藝術大学音楽学部楽理科卒業
☆同器楽科チェンバロ専攻進学
☆安宅賞受賞
☆アカンサス音楽賞受賞
☆東京を拠点に活躍
☆ソロシリーズ<ひとり琴>
☆ソプラノとのデュオ<Duo Maris>
☆小編成アンサンブル
☆オーケストラ公演
☆和楽器との共演
☆ジャンルを超えた演奏活動を展開
☆都留音楽祭アシスタントチェンバリスト
☆宮地楽器チェンバロコース講師
http:://magatamary.jimdo.com/
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ピアノやバイオリンの演奏はたくさんあるので、
なるべく珍しい楽器を、と
今回はチェンバロを選びました。
ピアノの前身であるチェンバロの音は、
先入観としては、
奥行の浅いチャラチャラした音、
というものでした。
でもでも、
全く予想を裏切るものでした。
トリルなどの装飾音を駆使して、
人間ワザとは思えない匠の技でした。
本来ならば、音色に変化をつけることが難しいのに、
縦横無尽に弾きこなしておられました。
CDがレコード芸術特選盤に選ばれた演奏家だけあって、
チェンバロの浅はかな固定概念を覆す演奏でした。
//////////////////////////////////
「チェンバロの歴史」
ウィキペディアより
https://ja.wikipedia.org/wiki/
%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%AD%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2
チェンバロは15世紀から18世紀のヨーロッパにおいて
重要な鍵盤楽器であり、20世紀に復興され、
今日では広範に演奏されている。
起源
チェンバロの起源は明らかでない。
ニューグローヴ世界音楽大事典によれば、
現在知られているもっとも古いチェンバロへの言及は、
とあるパドヴァの法学生が1397年に書いた記述に見え、
ヘルマン・ポールという人物が「クラヴィチェンバルム」
(clavicembalum)という楽器を発明したと記されている。
また、形として残る最も古い現存のチェンバロを表現したものは、
北西ドイツのミンデンにあった1425年作の
祭壇の彫像であるという。
チェンバロが誰によりいつ発明されたにせよ、
先行する形態にはいろいろなものが存在していた。
鍵盤によって楽器を操作するという発想は、
すでにオルガンにおいて実現されていたし、
中世にはプサルテリウム(フランス語版)が
広範に用いられていた。
後のチェンバロと同様、プサルテリウムには金属弦が張られ、
チューニングピンで張力が調節されており、
ブリッジを通して響板に振動を伝え、
聞える音量に拡大するという構造を持っていた。
従って、チェンバロの発明の肝要な部分は、
鍵盤の操作によって弦を弾くという
構造を考え出すところにあった。
14世紀はぜんまい仕掛けやその他の機械技術が
発展した時代であり、チェンバロの発明にも
充分な土壌が育っていたかもしれない。
ジャックが四角形のタングにはめ込まれたプレクトラムを
支えるという標準的なチェンバロの構造は、
時間をかけて他のさまざまな方式の中から
生き残っていったものであった可能性は低くない。
ツヴォレのアンリ・アルノー(フランス語版)の記した
楽器に関する1440年頃のラテン語写本には、
ジャックのアクションの3つのタイプの詳しい図が
掲載されており、ピアノのアクションの原始的な形態とも
言いうる構造も掲載されている。
初期チェンバロにおけるもう一つの発達は、
大きさの増大であった。
プサルテリウムは手で持つ楽器であり、
発達後のチェンバロよりはるかに小さい。
初期のチェンバロは、音域においても弦長においても
小さかったようである。
これは、例えば、セバスチャン・ヴィルドゥング
(ドイツ語版)の『音楽概観』(Musica getutscht, バーゼル、
1511年)の中にみることができる。
ヴィルドゥングはそれぞれ「ヴァージナル」
「クラヴィツィンバルム」、「クラヴィツィテリウム」
として3つの楽器を紹介しており、それぞれの楽器は38鍵、
40鍵、38鍵の音域を持っているが、
これはいずれも後のチェンバロからみるとはるかに小さい。
現代の製作家フランク・ハバード(英語版)は、
これらはいずれも「オッタヴィーノ」の一種であったろう
と述べている。
オッタヴィーノとは通常の音高よりもオクターヴ
高くなるような小型の楽器で、弦長を短くすることで
小さく作られている。
オッタヴィーノはチェンバロ製作史の初期には
一般的に見られる楽器であった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
さてさて、
もっとチェンバロの演奏を聴きたかったのですが、
アンコールもなく終了。
心残りながら、
待望のランチへ。
場所:名古屋東急ホテル2F
「なだ万」の「極」ランチ
もしかして、
これは宗次ホールの客専用のコースでしょうか?
普通に店に入れば、
ランチでも
4千円から2万円位まであります。
ビジネスマンが結構多かったです。
「極」ランチ
御献立
・先付
豆乳ゴマ豆腐
蟹身 チャービル
べっこう飴
本体
・小鉢
蒟蒻西京漬
炙り蕃茄 蓼ソース
めかぶと榎茸の佃煮
くこの実
・煮物
茶碗蒸し
・焼物
鯛新茶焼
揚おやき
新生姜松葉 山桃
・揚物
蟹真丈
豆腐磯部 小茄子
青唐
・酢物
稚鮎のマリネ
柑橘大根
・食事
白御飯 ふりかけ
赤だし 香の物
・デザート 季節物
普通の女性には適量だと思いますが、
ふりかけ御飯と赤だしは
お代わり自由なので、
大食漢にも気配りされています。
窓の外は、
階段状の滝になっていて涼しげです。
庶民に優しい「なだ万」でした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「なだ万」
ウィキペディアより
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%AA%E3%81%A0%E4%B8%87
なだ万(なだまん)は、1830年(天保元年)創業の日本料理店。
客単価1万5千円ほどの高級店として知られ、
日本を代表する老舗料亭のひとつである。
百貨店などのテナントとして惣菜や弁当の販売も行なっている。
歴史
創始者である灘屋萬助は、出身地である長崎の卓袱料理と
漢方の知識を元に、長崎料理を大阪風にアレンジした料理屋を
1830年に大阪で開いた。
そして1871年に北浜で「灘萬楼」を開業した。
明治中期には現代のスーパーの嚆矢といえる
総合食料品店も開き、当時まだ珍しかったパンを販売した。
料亭の灘萬は評判を呼び、政財界の要人や文豪らに親しまれ、
その作品にも登場した。
大正時代には、パリ講和会議の折に西園寺公望の
訪欧随行料理人として灘萬の店主が指名され、
また洋式ホテルの経営にも関わって、レストランでの
ジャズ演奏は「灘萬ジャズ」と呼ばれた。
戦後は帝国ホテルなどに日本料理店の出店を続け、
特にホテルニューオータニ庭園の「山茶花荘」
(さざんかそう)は政府要人らの会談場所として
頻繁に使われ、1986年の東京サミットでは
公式晩餐会の会場ともなった。
しかし平成に入ると、バブル崩壊、リーマン・ショックなどで
高級日本料理店の客足は遠のき、その売上不振を
百貨店などでの惣菜販売で補った。
2014年にアサヒビールが創業家(楠本家)から
株式51.1%を取得し、なだ万は子会社化された。
もとよりなだ万の日本料理店で扱うビールの9割は
アサヒ商品であり両社の関係は深く、この買収により
なだ万は安定した経営基盤を得た。
店舗
2015年時点で、日本料理店は日本国内では関東圏を中心に
25店舗、海外では東アジア・東南アジアを主に7店舗を構え、
ほか百貨店などのテナントとして惣菜販売店を
36店ひらいている。
沿革
1830年(天保元年) 初代・灘屋萬助が大阪で料理屋を創業
1871年(明治4年) 長崎料理を基調とした大阪料理の店「灘萬
楼」を開業
1919年(大正8年) 西園寺公望の訪欧に三代目・楠本萬助が随
行。
1970年(昭和45年) 帝国ホテルに日本料理店を開店。
1973年(昭和48年) ロイヤルホテルに日本料理店を開店。
1974年(昭和49年) 本社を大阪から東京のホテルニューオータ
ニ内に移転。
1981年(昭和56年) 香港のシャングリ・ラ・ホテルに海外1号
店を開店。
1986年(昭和61年) 東京サミットを山茶花荘で開催。
2011年(平成23年) 『なだ万日本料理の真髄』(幻冬舎メディ
アコンサルティング)を発売。
2014年(平成26年) アサヒビール株式会社が創業家より株式
51.1%を取得、傘下入りに合意。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今日も幸せな良い一日でした。
ありがとうございます。
感謝します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
20150629
庶民に優しい「なだ万」ランチと
宗次ホールランチタイム名曲コンサートvol.1206
「花束より少しちいさなチェンバロの名曲たち」
http://aosan.daa.jp/?p=2664
/////////////////////////////////
最後までお読みくださいまして
ありがとうございます。
感謝いっぱいでございます。
「アオサンだーjp」
の「もくじ」は次のURLです。
2014年(平成26年) http://aosan.daa.jp/?page_id=183
2015年(平成27年) http://aosan.daa.jp/?page_id=1877
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期間限定のものも多いのでお早めに。
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by 3zero333
| 2015-06-29 23:23
| ライフ